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山﨑 直方邸 (大正6年)
建築家 伊郷 吉信 記
- 施主・山﨑直方(やまさきなおまさ)は1870年(明治3年)土佐の高知に生まれた。東京帝国大学卒業後、母校の教授として東京帝国大学理科大学地理学科を開設した。日本地理学会を創設、立山の氷河地形(山崎カールと名付けられた)を発見した人としても知られる。
- 転居通知のハガキには手書きの地図とともに、「転居御通知申上候 新宅小石川区大塚窪町四五 山﨑直方」と毛筆の署名があり、四十七歳にして気に入りの自邸を建てた喜びが伝わってくる。設計者は不詳。大工棟梁片山 清太郎。
- 大正期の、竣工まもない和洋館の木彫が現存している。板目を夕焼け雲に見立てたなかに建物全体を悠然と浮かび上がらせている。
- 山﨑邸のステンドグラスは玄関の家紋は別にして、どれも異国の匂いがする。西欧ではない異国の匂いだ。階段室の雛罌粟の花を思わせる大ステンドグラスも、二階喫煙室のアラビア風窓も、窓下隅の白地に鮮やかな群青の文字絵タイルも。じっと佇んでいると、どこからともなく水煙草や葉巻の薄紫の煙のなかに音楽が立ち上ってくるような錯覚にとらわれる。中東の匂いがするステンドグラスは、旅が好きで仕事がら世界の隅々を訪れた直方にとても似合っている。
- ステンドグラスの図案は東京美術学校日本画科出身で、卒業後、東京で図案製作所を開設した広瀬尋常。ステンドグラス製作は宇野澤ステンド硝子工場。受領書には宇野澤ステインド硝子工場製オリジナルの便箋に宇野澤辰美の署名捺印があった。ステンドグラス史を知るうえで大変貴重な史料である。
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